福島第一原発事故の経緯…知られざる日本政府の対応についての武田先生論文
武田先生が長周新聞に寄稿した論文がこの福島原発事故の
経緯を非常にわかりやすく記していると思いますので
タイプアップしてくださったブログより転載です。
つい先日、原発事故の最悪のシナリオは検討されたにもかかわらず
発表していなかった、議事録もないという報道がありましたが
いかに政府が国民に向いてまつりごとをして
いないかがわかります。いつも企業や生産者のような
経済活動(お金)の方に向いている。
国民の健康なんて一番後回しになっているというのが
現状です。
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題は「「善良」ではなかった日本の「指導者」」。
ほかのメディアで目に触れないので全文をタイプしてアップする。
誤字脱字は各自で修正ください。
(開始)
「善良」ではなかった日本の「指導者」
中部大学総合工学研究所教授 武田邦彦
2011年3月に起きた福島原発事故ほど「日本の指導者は善良でない」
ということを白日のもとに晒したことは無かったかも知れない。
これまでも第二次世界大戦などで醜悪な指導者像が描かれてきたが、
戦争はあまりにも要因が多いので、その評価は紛れが生じる。
その点、福島原発事故は起こったことが単純で、その被害が甚大である
という点で、指導者の姿をハッキリと映し出した。
▼福島第一原発が爆発する可能性が高いことが判ったのは、
現実に爆発した前日の夜だった。原子炉内の冷却が不能になり、
温度が上がってきた時点で発電所は「爆発の可能性が高い」と判断できる。
その時点で発電所長は福島の119番(消防)に緊急の退避を要請する
必要があった。
原発を運転させてもらっているのは地元が了解しているからで、
真っ先に運転を認めてくれた地元住民を避難させる必要があった。
すでに石油コンビナートでは40年前から「火災の場合、上司に連絡せずに、
現場が直接119番しろ」と指導しているし、法律でも「火事を見て119番に
連絡しなければ放火同然」とされている。
今回の事故で現場の活動が賛美されているが、
事故を起こして通報もしなかった現場をほめることは
誠意ある社会ではない。
むしろ119番せずに東電本社に連絡した行為は
実質的に「傷害罪」である。
▼福島第一原発から大量の放射線が漏れ出した3月12日夕刻、
政府やNHKに出ていた東大教授は「遠くに逃げろ」と言った。
原発事故では原発から放射線が襲ってくるわけではなく、
放射性物質が風で流れてくるのだから風下にと逃げることが
もっとも被曝総線量を高める。事実、飯館村の人々は風下に逃げて
一日以上、被曝した。
さらに東大教授は「被曝は距離の二乗に反比例して弱くなる」と
繰り返したが、それは原発から放射線が直接来る場合であって、
そんな場合は起こりえない。仮に強い放射線が原発から直接、
発せられているとすると福島第一原発構内にいた東電関係者は
強いダメージを受けるはずである。
これほど簡単なつじつますらとらず、いたずらに住民を被曝させた。
▼伝え聞くところによると、NHKをはじめとした主要なマスコミの記者は
数日内に無人の固定カメラなどを設置して福島から退避したという。
そして地元には「直ちに健康に影響はない」と繰り返し、
それを信じた住民は普通の生活をしていた。
約一ヶ月後、退避した記者が防護服を着て線量計を携帯し、
おそるおそる福島に入ってみると、住民は普通の格好をして生活をしている。
聞いてみると「健康に影響はない」と言うからそのまま生活をしている
と答える。線量計を持ちながら被曝を減らそうとしている記者は
自分たちが何をしたのか理解していなかった。
事故直後に起こったことをマスコミは正直に伝えたほうが良い。
そのほうが今後のマスコミに対する信頼性が上がるだろう。
マスコミだけが糾弾されないという状態は長期的にはマスコミを
腐敗させるだろう。
▼原発事故では流れてくる放射性物質を避けるのが
もっとも大切であり、そのためには風の向きが大切である。
気象庁はIAEAに直ちに風の状態を報告したが、国民には「担当が違う」
という理由で公表しなかった。
一週間後に批判を受けて公表したが、「これは国民に知らせるものではない」
という注釈をつけて英語で公表した。
気象庁が風向きを事故後すぐにIAEAに報告していたのに、
NHKは二週間経った後、「震災で壊れていた風向計が復旧した」
という理由で福島の風向きを報道し始めた。
初期被曝が終わってからだった。
さらに重要なのは気象学会が「国民が混乱するから研究者は
福島の風向きの情報を出さないこと」と驚くべきアナウンスをした。
これに対して学問を守る立場の学術会議は何も言わなかった。
もともと原子力基本法で「公開の原則」が決められたとき、
学術会議は「すべての情報の公開を意味する」というステートメントを
出している。学術会議は学問から離れて権力と利権の場になった。
▼事故から数日経つと、東大教授は「胃のレントゲンが一回
600マイクロシーベルトであるのに対して,線量は20マイクロに過ぎない。
たった30分の1である」と繰り返して発言し、それをNHKが放送した。
20マイクロというのは一時間で被曝する量であり、一日は24時間だから
480マイクロになり、10日間で8回のレントゲンを撮るのと同じになる。
「かけ算のできない東大教授」ということだが、もちろん知っていて
ウソをついたのだから、実質的に傷害罪である。
・・・・・このような悪意のコメントと誤報が延々とつづき、多くの人が被曝した。
政府は住民が退避するためのバスを一台も出さず、
寒風吹く福島に置き去りにした。
・・・・・そして九ヶ月。政府は相変わらず国民を被曝させるのに懸命である。
特に政府ばかりでなく、自治体、教育委員会、研究している医師などが
国民を被曝させるのに懸命になっている。
既に半減期が八日のヨウ素は無くなり、放射性ヨウ素で大量に被曝した
子供たちの被曝履歴を調べることもできない。
▼セシウムだけで一年5ミリシーベルト(全核種で17ミリと推定、
1キロ500ベクレル)と決められていた給食の基準を、政府はあまりにもひどい
ということで40ベクレルに下げる決定をしたところ、
17都道府県の教育委員会が「測定する機械がない」という理由で
500ベクレルを維持するように要請した。
子供たちの被曝をどうするかの議論をせずに、
「お金」だけを理由にしている。測定器は最高級(自然放射線を除けるもの)
で300万円である。
▼日光は不幸なことに第一波の放射性物質が降下し、
ホットスポットになった。観光客は外人が中心だが、事故前は
一日三千人だったのに、二十人に減少した。
つまり、自由意思なら日光に行かないという状態なのに、
東京を中心とした小学校、地方の中学校が日光に修学旅行などに
行っている。私が「行かないで欲しい」と校長先生に呼びかけると
「昨年も行っているから」という返事があった。
爆弾が落ちても新型インフルエンザが流行しても、
昨年行ったので今年も行くという理由を言うのだろうか?
▼講演会でしっかりした栄養士のかたが「保護者が給食の不安を言って
困る。ベクレルは測定していないし、どう答えてよいか判らない」
と質問をされた。
私が「腐っているかどうかわからないものや、毒物が入っているかどうか
不明なものを給食に出すのですか?ベクレルが判らなければ捨ててください」
と言ったら会場は大爆笑になった。
言われてみれば保護者の心配はまともなことが判ったようだった。
横浜市は市長が先頭にたって「被曝など何でもない」という
パンフレットを作り、ずさんな給食管理をやっていたら、
国の暫定基準値(実質年間17ミリ)も超える異常な牛肉や椎茸を
給食に出していた。それが発覚すると横浜市の職員が「すみません」と
謝った。謝って済む問題とすまないものがある。
子供は食べたものをはき出せないのだから、市長は辞職しなければならない。
▼チェルノブイリでは牛乳が原因した小児の甲状腺ガンが
六千人にのぼった。さらに福島原発では牛肉が汚染された。
このような事実から子供を持つ親が心配するのは当然だが、
牛乳メーカーは断固としてベクレル表示をしなかった。
すでに甲状腺ガンの原因となるヨウ素は無くなった。
それでも雪印の(ママ。明治の間違いと思われる:筆写者註)粉ミルクの汚染
が報じられた。子供に牛乳や粉ミルクを買って貰っていた乳業メーカーは
まったく食材を扱う資格がないことが明らかになった。
▼群馬大学の早川先生(火山学)は早い時期から各地の放射線測定データ
をわかりやすい地図にして公表していた。
その地図を頼りに移動したり、被曝を防いだりした人は多く、
その功績は大きい。
学問は国民が危機に陥ったときに、専門的な知識を活用して
救うことが第一義である。ところが、群馬大学は原子力機関と提携している
こともあり、学長が早川先生を処分した。
理由は「事実を言って福島の人に不安を与えた」ということだった。
あるテレビ番組で私はセシウム137が青酸カリより毒性が強い(ほぼ二千倍)
を知らせるために、セシウムで汚染されている田んぼに稲を植えるのは
青酸カリがまかれている田んぼに稲を植えるのと同じ」という趣旨の
発言をしたところ、「学者が事実を言うのは不適切だ」というバッシングを受けた。
学者が事実を言うとバッシングする時代である。
事故から九ヶ月を経過した現在、お母さんは日本政府に絶望して、
「我が子を守るのに私は何ができるの?」という行動に走っている。
お母さんとしては万策尽きたのでやむを得ないが、民主主義においては
「何ができる」というのは「政治を変える」ということである。
日本は民主主義だから、お母さんが決めたことが政府の決定でなければ
ならない。でも、たっぷりとお金(電気代)は政治家、官僚、学者、マスコミに
流れていて、その力は強力である。
しかも、日本の指導者層、とりわけ東大を出た人は「その時、その時で
上手い言い訳をできる人」であり、「人格軽薄、口先だけ」である。
それは教育の責任であり、大学受験などを容認してきた日本社会にある。
教育は本来、本人の希望にそってその人が人生において必要なことを
身につけるためのものである。最低限の知識として「読み書きそろばん」は
必要であるが、それ以上は本人と保護者の希望にそって行うものであり、
決して「他人より優れているか」が問題になるものではない。
サッカーが好きな子がサッカーをやり、もし世界レベルに達すれば
日本の力を世界に示すことになるが、それは最初から「日本のため」に
サッカーをするのではない。それと同じように学業も「日本のために」という
奉仕型ではなく、個人の幸福のために学び、その結果、世界的な学者も
誕生するのが教育本来の目的である。
ところが、現在の教育、特に国立大学の教育は
「いかにして他人を蹴落すか」に主眼が置かれており、
著者の経験では国立大学の大学院ですら、教授の講義に際して
一番前の席に座り、講義中、ずっとグーグーと寝ていて恥じない学生は
多い。「私は君たちを人間として見ているが、君たちは目の前の相手が
寝ていても90分、話し続けることができるのか?」と諭さなければならない
のが現状である。
今、日本を指導している多くの人は、ゆがんだ教育と評価方法の中で、
言い訳、裏切り、利己性などが巧みであることによって栄達している。
このような社会体制こそが今回の事故とその後の政府、自治体、専門家、
マスコミの言動となったと考えられる。
善良な国民と誠実な国家・・・・・それこそが日本の基礎になるべきであり、
東京で消費される電気を製造する原発は東京から50キロ圏内と
決めることが求められる。
(中部大学総合工学研究所教授)
(了)
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